Deacair Imeacht

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'Tá sé deacair imeacht', arsa Mícheál Ó Cuaig, file molfach, dhom agus muid ag fágáil sláin ag a chéíle i ndeireadh Oireachtais na Samhna 2011 i gCill Airne. Anam geal.

'Okage sama de', fhreagair Tomás Ó Canainn as Seapáinis nuair a dúirt mé 'ogenki desu ka?' leis.* Is minic gur casadh orm é maidin Domhnaigh roimh Aifreann an Oireachtais. Anam geal eile.

Dámhadh Corn Cuimhneacháin Chiaráin Uí Chon Ceanainn, mar duais Sean-Nóis na bhFear, d'Aodán Ó Ceallaigh, sáramhránaí, i mbliana. An t-ainm nua a tugadh ar an gCorn seo i 2011. Ainmníodh 'Corn Óstan na Ceathrún Rua' é roimh sin, eadhon go dtí 2010. Athrú mór a bhí ann. Ciarán a bhí ina amhránaí is ansa liom. Anam is gile. Go raibh sé ag ceol i measc na n-aingeal. Áiméan.


*Okage sama de=buíochas le [rud eicínt nó duine eicínt neamhainmnithe, b'fheidir eiseadh dofheicthe]; ogenki desu ka?=cén chaoi a bhfuil tú?
[Scríobh mé an aiste thíos don iris leictreonach 'Cran Coille' Eanáir 2011. I wrote the piece below for the mail magazine 'Cran Coille' January 2011. 以下の文章はメールマガジン 'Cran Coille' 2011年1月号のために書いたものです。]

トマース・オカナンと出会う

 学者と話を通じさせるのは至難である。
 ことにアイルランド語伝統歌の学者とは。

 なぜ難しいのか。彼らはアイルランド語の詩行を日夜考える。韻律を考える。韻律が作りだす内的リズムがどう歌の旋律に装飾音に反映されるかを全身耳にして聴く。僅かな変化も聴きのがさない。集中が進めばどんどん内面に沈潜してゆく。アイルランド語詩の韻律は精妙に織り上げられる言葉の音楽であるから、極度の集中である。どこからどこまでが句あるいはその延長として一息のものであるか、歌い手はどこで息継ぎをするか。強勢のない音節をどう唄うか、そのふしを前とどう変えるか。詩行の最初の強勢の前の音節をどう唄うか。あらゆることに注意を払う。

 そこへ声を掛けたらどうなるかは火を見るより明らかである。

 もし、それでも答えを返してくれる人があれば、あなたはその人を大事にすべきである。百人に一人もいないから。

 2010年の音楽体験をひとつ選ぶ。トマース・オカナン (Tomás Ó Canainn) との出会いを仮に挙げてみる。出会ったとはおこがましいが。キラーニーで10月末に開催されたエラハタス・ナ・ゲールゲ(アイルランド語芸術年次大会) (Oireachtas na Gaeilge) でのことだった。

 実際には朝食の席で隣合せ、同じ日のエラハタス記念ミサ(Aifreann an Oireachtais) で後ろの席に坐っただけである。声を掛けるに足るほどの学殖はもちろん持ちあわせぬ。しかし、それでも出会いと呼びたいのには訳がある。彼が作曲したミサ曲を聴いたからだ。

 衝撃的だった。毎年アイルランドのゲールタハト(アイルランド語使用地域) を巡るエラハタス・ナ・ゲールゲの会場で、伝統歌唱の最高峰を決めるオリアダ杯選手権の審査員をつとめる彼の後姿を見続けてきた。その彼がミサ曲を。

 この驚きの性質を語るにはもう少し説明せねばならない。どこから説明するか難しいがアイルランド語伝統歌を巡る言説の流れを説明することでそれに代えたい。

 この40年間のアイルランド語伝統歌の見方に決定的な影響を与えてきたのはオリアダである。或いは近年オリアダ父子となったとも云える。オリアダ杯に名前を冠されたショーン・オリアダと、南部クールエーで長年オリアダ作のミサ曲を歌う聖歌隊を率いてきた息子パダル・オリアダと。

 ショーンがアイルランド音楽はヨーロッパ音楽に非ずと断じたことは決定的な影響を与えた。その伝統歌を構成する中身についてパダルは2010年、明確な定義を打出した。

 トマースはショーンの弟子の一人である。トマースの書いたシャン・ノース歌唱の詳細な音楽的分析はショーンのそれを上回るとは云えないにせよ重要なものを付加えた。

 この流れの中でトマースもまたアイルランド語ミサ曲を作り、今やショーンのミサ曲と肩を並べたのである。

 まとめると、ショーンとパダルの親子、及びショーンの弟子のトマース、彼らに共通するのは、アイルランド語伝統歌への深い洞察に立脚する決定的な言説、及びアイルランド語ミサ曲である。トマースもまたこれらを備えるに至ったことに感慨を覚えたのだ。

 生きている学者にはかくして声を掛けにくい。しかし、故人となった人なら、存分にその成果を眺め、近づくこともできる。シェーマス・エニスが収集した伝統曲の自筆楽譜を UCD の特別展示で見られたのは、ささやかながら嬉しい体験だった。彼らしい端正な筆づかいできちんと書かれた音符と文字に、在りし日のシェーマスを思った。学者がその真価を理解されるのはいつの時代も時間がかかる。

 ちなみに、エラハタス記念ミサで隣合せになったのは、ブランダーン・オマダガーィンであった。よくオリアダ杯の審査員をつとめる人なのだが、不思議に彼とは気軽に話ができる。

UCD フォークロア・コレクション (UCD Folklore Collection)
http://www.ucd.ie/irishfolklore/

SeamusEnnis_DoiriBhriain.jpg[Transcription by Séamus Ennis of 'Doirí Bhriain'. UCD Folklore Collection]

Omos do Chelia Ni Fatharta

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CeliaNiFhatharta.jpg
Ómós do Chelia Ní Fátharta

Comhghairdeas!
Is é an dlúthdhiosca Celia Ní Fhátharta: Irish Traditional Sean-Nós Songs (Cló Iar-Chonnacht CICD 183, 2010) ceann de albaim is tábhachtaí sa chéad seo, de mo dhóigh iníseal. Glór geal, briathraíocht chruinn, mothúchán toll: tá gach uile rud a bhfuil ag teastáil in amhránaíocht ar an sean-nós. Seo liosta amhrán:

  1. Úna Dheas Ní Nia
  2. An Buachaillín Múinte

  3. Táilliúir an Mhagaidh
  4. Sagart na Cúile Báine
  5. Neainsín Bhán

  6. Seacht nDólás na Maighdine Muire
  7. An Abhainn Mhór

  8. Bríd Thomáis Mhrucha
  9. An Sagairtín
  10. Seacht Suáilcí na Maighdine Muire
  11. Tomás Bán Mac Aogáin
  12. Cúirt Bhaile Nua

  13. Tá na Páipéir á Saighneáil
  14. Amhrán Mhaínse
Ní gá a rá nach bhfuil tionlacan ann. Glór cumhra atá ann.


シーリア・ニアールタの待望のアルバムが出た。シャン・ノース(無伴奏アイルランド語)歌唱のアルバムとしてこの十年で最も重要なアルバムではないかと思われる。輝かしい声、正確なディクション、深い情感。シャン・ノース歌唱に求めるすべてがここにはある。

シーリアは1999年にオリアダ杯を獲得してから米国・シカゴに移住した。かの歌の名門グリアリシュ一家の出で、Caitlín Ghriallais の娘である。コナマーラ・ゲールタハトの Baile na hAbhann で育った。ここはアイルランド語・テレビ局 TG4 がある場所でもある。

真のシャン・ノース歌唱には人を癒す力がある。このアルバムの1曲目を耳にしたとき、多くの人はそれを直ちに感じ取ることだろう。遅く唄う曲を昔風にやや速めに唄い、速く唄う曲はややゆったりと唄う。どのレパートリーも、表現は完璧と云う他ない。装飾音の技巧も筆舌に尽くしがたいほど凄い。さらに特筆すべきなのが、聖歌が2曲入っていること。<聖母マリアの七つの悲しみ>と<聖母マリアの七つの喜び>とが収められており、まことにうれしい。これらの歌にこめられた情感の深さが心を揺さぶる。

個人的な感想を述べるなら、男性歌手でいうとダラフ・オカハーンとかニクラス・トービーンに匹敵する女性歌手のアルバムということになるのではないか。つまり、シャン・ノースの録音史上、空前絶後の作品ということである。

シーリアが1999年にエラハタス・ナ・ゲールゲに出場した際の映像が Google Videos で見られる。開始後10分くらいのところにある。

Celia, as appeared in Corn Uí Riada 1999 (Google Videos)
[Note: The article below originally appeared here on 7 March 2005 and has been restored. It refers to the conversation between Harry Bradley and myself which took place on 6 March, when workshops on fiddle, flute and sean-nós dance were held in Osaka.]

〔註: 以下は2005年3月7日付の記事を復元したもの。3月6日、大阪で開催されたポール・オショネシーとハリー・ブラドリー及びショーサヴ(ジョー)・オニャハタンのワークショップの際、ハリーと話した内容について述べたもの。〕


 いや、そんなつもりじゃなかった。たまたま昨日の立食のテーブルで隣合せ、あなたは IRTRAD-L でよく発言するあのハリー・ブラッドリーと同一人物かと水を向けたのだ。そうしたら、えらい話しこむことになってしまった。話はアイルランド伝統音楽をめぐる論争の根本のところに関わり、ややこしい領域に入っていった。

 IRTRAD-L での辛辣な論争を見ていて相当な論客であると知っていたので、攻撃的な人物だろうとぼくは半身の体勢だったのだけれど、意外に控えめで繊細な人物だった。顔はいかついけどね。〔写真は新作 CD 表紙から。近くで見てもこんな顔だった(笑)〕

HarryBradley_frCDcover.jpg IRTRAD-L というのはアイルランド伝統音楽を議論するメーリング・リストで、もう10年以上続いている。加入者は五百人くらい。ハリー・ブラッドリーはもちろんのこと、多くの音楽家が発言しているし、雑誌やレコード店などの業界関係者や、研究者などの多彩な投稿で連日賑っている。議論は時に政治性を帯び、白熱することもしばしば。

 議論のテーマはアーティストのこと、CD のこと、楽曲のこと等々多岐に亘るが、いつも皆の意識の底にあるのは <アイルランド伝統音楽とは何か> という問題で、この捉え方が投稿者によってずれがあるために、ひとたびこれが話題になると議論は果てしなく続く。で、今回、ハリーと話しこんだのはこの問題にからむ。

 ハリーがきびしい批判を加えたのは学者の日和見主義(opportunism)である。特に、いろんな面で影響力の大きい学者の態度に痛烈な批判を加えた。伝統音楽のことが分かっていないにもかかわらず、うわべだけ、きれいな装いをさせる。そうやって、本来の伝統音楽の姿をゆがめてしまう。だけでなく、伝統音楽をコントロールしようとする。伝統音楽のことを、田舎くさい遅れたものとして本心では嫌っていながら、何らかの目的をもって賞揚したりする矛盾した態度を彼は批判した。念頭にあるのは有名なある学者である。ヒントを一言。ピアニストとして著名。夫人はアイルランド親善大使的な有名歌手。

 ハリーは伝統が保守的(conservative)であるとはどういうことかについて説明した。

伝統を守り育てるためには、栄養を与え、支えていかなければならないと。これが伝統に対する保守の意味である。それなくしては、伝統は枯渇してしまうということである。
伝統が何を必要としているかを考え、世話をしてやらねばならぬ。生きた伝統の只中にいる彼ならではの見方である。

 こういう話を聞いて、いろんな思いがした。で、気になる点をぶつけてみた。もし、伝統を、そういう生きたものとして涵養せねばならないとすると、それが不可能でありながらその音楽をやっている国外の音楽家のことはどう考えるかと、日本のミュージシャンのことなどを想いうかべながら訊いた。それに対して彼の答えは曖昧模糊としてはっきりしなかった。音楽に対する純粋な愛情があればいいんだねと言うと、否定はしなかった。

 ハリーの音楽家としての繊細さと攻撃的な活力という相反する二面は、伝統音楽を生き物として捉える姿勢から来ているのかもしれない。生き物だから、細やかな心遣いが必要である。けれど、一旦その生命力の奔流に乗ればいくらでもエネルギーが発出される。シャイな態度の陰に隠れた旺盛な意欲は、彼にあっては全く矛盾しないものなのだろう。その一端を5日の大阪公演の終盤に見た気がする。

[Note: The article below originally appeared here on 5 March 2005 and has been restored at a friend's suggestion. It refers to the concert in Japan of Paul O'Shaughnessy & Harry Bradley along with Seosamh (Joe) Ó Neachtain. The concert itself and related information from thenceforth is covered in a Japanese website at http://www.geocities.co.jp/junfumihp/top . Heartfelt thanks go to Jun & Tongariyama. Should anyone need an English translation, just drop me a note in a comment space, thanks.]

〔註: 以下は2005年3月5日付の記事を友人の奨めで復元したもの。同日、大阪で開催されたポール・オショネシーとハリー・ブラドリー及びショーサヴ(ジョー)・オニャハタンのコンサートのうち、ショーサヴのダンス・ステップについて述べたもの。コンサートそのもの及びその後の情報については http://www.geocities.co.jp/junfumihp/top に詳しく紹介されている。Jun さんと、とんがりやまさんに深甚なる感謝を捧げます。〕


 遂にこの眼でショーサヴ・オ・ニャハタンのステップを見た。目の前およそ三mくらいだったろうか。わずかに三曲くらい踊っただけだったが、ビデオと目の前のステップとは大違い。めちゃめちゃ、かっこいい。リズムの切れが素晴らしくいい。あのリズムの権化のハリー・ブラッドリーが目を見張っていた。緩急自在で、眼で見て楽しく耳で聞いて鼓舞される。ああ、足の匠。

 開演前にバーの前でたむろしていた彼が暇そうだったのでアイルランド語で「失礼」と話しかけた。

 なんとスピジェールではシャン・ノース・ダンスを踊るのは彼一人らしい。各地に一人づついるくらいのもので、ダンス人口は少ないらしい。これは非常に意外だった。

 2003年のエラハタスでチャピオンになったでしょと、水を向けると、いやあれは面白くなかったと、これも意外な答え。多くのダンサーが同じようなリズムで同じようなステップをしているのが彼には不満らしい。昔はもっとリズムやステップにヴァラエティがあったという。だから、彼は2004年のエラハタスでは皆リールで踊る中でホーンパイプで踊ったのだった。昔のもっと面白いシャン・ノース・ステップ・ダンスを彼は復活させようとしているのだ。

 今晩はドネゴールの名人二人(ポール・オ・シャクナシー〔オ・ショーネシー〕とハリー・ブラッドリー)の奏でる音楽で彼はコナマラの郷土芸ともいえるダンスを踊った。殆どはポールがフィドルで伴奏していたが。

 ポールのフィドルの音色のきれいだったこと。惚れ惚れする。ハリーのフルートは最後のほうでよくマイクに乗り、神懸って来たとも思えた頃にコンサート終了だったのは惜しい。この二人にとっては二時間なんて短すぎる。ショーサヴ(ジョー)も一曲踊ると、若いのに肩で息をしていたから、相当エネルギーを使うのだろう。ボックスでスローエアーも聞かせてくれた。左手の使い方がもっとうまくなると音のエッジが立つだろうなと思った。

 赤澤さんのブズーキの省エネ奏法のリズムは、二人を乗らせるに十分だった。枯淡の境地のよう。

 会場で懐かしい多くの顔に出会い、またネット上でのみ知っていた人に初めて会い、満たされた心地で大阪のバナナ・ホールを後にした。手にはおみやげのベイリーズの小壜を抱えて。帰宅後、いつものロックだけでなく、ベイリーズ・ミルクというベイリーズ1にミルク1のカクテルを楽しんだ後、ここまで書いた。イー・ワー(コナマラ)またはイー・ワイ(ドニゴール)〔おやすみ〕。


<コメント>
お疲れ様でした。いやあ、楽しかったし充実してましたね。ポール、ハリー、赤澤さんの三人が音を出した瞬間、前回のコンサートを思い出して涙が出そうになりました。新作アルバムにブズーキがないのが物足りなく感じるくらい。
ジョーのステップは、もうそれだけで凄い音楽でした。たとえ伴奏がまったく無くとも、彼ならたった一人でステップを踏むだけで、すぐれた音楽を聴いた気になれますね。シャン・ノース・シンギングが無伴奏なのと同様、シャン・ノース・ダンシングもまた、無伴奏でも成立しうるものではないかとさえ思わせるようなダンスでした。

投稿者 とんがりやま : March 7, 2005 12:19 AM


 コメント、ありがとうございます。お疲れ様でした。前回はチケットは買ってあったのですが故あって行けませんでした。そうでしたか、前回の感じが蘇ったのですね。何となく想像できます。あとで新作 CD を聞いてみたら確かに同じ曲をやったのですが、生のほうがやっぱり断然よかったですね。音のバランスは CD のほうが少しいいかもしれませんが。
 ジョーのコンサートでのダンスは、あとでタップ・シューズによるものと聞きましたが、昨日のワークショップで普通の革底の靴で鳴らしたオフビートの微妙なステップが忘れられません。あれはショーの大音響の中では埋没するかもしれません。
 はじめに音楽ありき、ダンスはその次だ、音楽を知らざればダンスをしようなどとゆめ思うなかれ、という彼が繰返し強調した点が、実際にダンスを見て腑に落ちました。完全に曲想が頭に入っていて、それをステップで表現しようとしているからこそ、型にはまらず自由に優雅に美しく踊れるのだろうなと、想像したことでした。どんな曲でもリズム構造で区分けして、左右均等配分の、型にはまったダンスを繰広げる流派とは対極にあると感じました。一つ一つの曲は生きているということを体の髄で知ることの大切さを思いました。ふと、ポールの音色の美しさの底にはそういう個々の曲への想いが溢れているからだろうなと連想が働きました。

投稿者 Mícheál [prob. on 7 March 2005 or shortly afterwards]


<追記・2010年12月2日記>
 実はショーサヴにはその後、ほぼ毎年のように会っている。一度は彼の家で、彼とお父さん(シャン・ノース歌唱の名人 Tomás Ó Neachtain)に会うところだったが諸事情で実現しなかった。会わなかったのは2008年くらいかもしれない。今年(2010年)も10月末にキラーニーで会った。一度は消えかけたシャン・ノース・ダンス競技種目が突然の人気爆発でエラハタスの一番人気に躍り出てから暫く経つが、現下の状況をショーサヴはどう見ているのだろうか。近年では2009年のチャンピオンになった Emma Ní Shúilleabháin にゾクゾクするような感動を覚えたが、なかなかそういうダンサーにはお目にかかれない。


<追記・2010年12月6日記>
 ショーサヴには確かに毎年のように顔を合わせているのだが、じっくり話す暇はいつもない。彼はダンス競技の審査員として多忙だからだ。

 シャン・ノース・ダンスについて、今年(2010年)、別の人々とやや詳しい話をすることができた。エラハタスの大会を長年支えてきた専門家および幹部の人々である。Fintan Vallely の The Companion to Irish Traditional Music (第一版、1999〔第二版が2011年早々に出る予定〕)の 'step dance' の 'sean-nós' の項には、このダンスが1975年に始まったかのように受取れる記述があるが、これは誤解を招く。名称は確かにその時に生まれたにせよ、このダンスそのものはもっとずっと古くからあると、今回会った年輩の人々は断言していた。ただ、そのことについての文献上の記述はぼくも見たことがない。どこかにあるのかもしれないけれど。

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