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'Goodbye, Babylon' Revisited

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GoodbyeBabylonLidBaseM.jpg

Various Artists: Goodbye, Babylon (Dust-to-Digital, 2003) 米国 のゴスペル音楽の"バイブル"とも言えるアルバムが誕生した。

ゴスペル音楽の初期の録音を集大成し、本物の綿花とともにシーダー製の木箱に収めた《Goodbye, Babylon》 はジョージア州アトランタのDust-to-Digital が2003年10月に発表した 6 枚組のアルバムだ。ジョージア州からこういうものが出たということは、ある歴史の必然を感じさせる。

ジョージア州オールバニー生まれのレイ・チャールズがゴスペル曲をもとに <I Got a Woman> を生み出したのが1953年。それは彼にとって最初の大ヒット曲であったが、同時に、ソウル音楽や黒人のポピュラー音楽全般がゴスペルの伝統からインスピレーションを汲みだすという流れの始まりであったとも言える。その後、四半世紀をへて、ジョージア州は州法においてレイ・チャールズの <Georgia on My Mind> を州歌と定めるに至った(1979年)。

そのゴスペルという黒人音楽がいかに聖書という泉から多くのものを汲みだしているかについて、もし真剣な興味があれば、この 6 枚組はまたとない宝庫となるだろう。ふだん何気なくゴスペルに耳を傾けている人も、このアルバムの 200 頁に及ぶ解説書を読みながら聴けば、一つ一つの曲がどのような聖句から霊感を得ているかが、はっきりと分かる。さらに、6 枚目全部を占める説教集を聴くに及んでは、聖句にもとづく説教師のことばと会衆の応酬とが、ゴスペル音楽のルーツそのものであることが確信できるだろう。それは、説教なんて退屈なものだろうという予想をくつがえすどころか、これほど熱い音楽はないとさえ言えるほどのものである。

BlindWillieJohnsonS.jpgここに収められた音楽や説教については、ハイライトが多すぎて、語りつくせない。多くのレヴューがハリー・スミスなみの渾身の編集作業に対して絶賛を送っている。附属の解説書も入魂のできで、歌詞や説教の言葉やアーティストの背景はもとより、もとになる聖句がきっちり書かれているので、読みながら聴くにはまことに好適である。全体を通して、無私にして無償のエネルギーがプロダクトのすみずみまで注がれているのが感じとれる。それを支えるものはただ一つ、神への奉仕の意識以外に考えられない。

ゴスペルとは言うまでもなく「福音」つまり「よい知らせ」であり、その「よい知らせ」を人に伝えたくてたまらないという熱意がゴスペル音楽の底にはある。なぜそういう熱意を持つかといえば、貧しく虐げられていた人々の苦しみに神は目をとめており、その人たちを神は見捨ててはいないという、信じがたいほどにうれしいニュースを聞いたからである。そのうれしさのほどは、説教師に応える会衆の熱き叫びを聞けば十分すぎるほど分かる。

SisterRosettaTharpeS.jpg特に印象に残るトラックを少し挙げてみよう。1 枚目では、めずらしい手製の楽器(dolceola に近いと言われる)で弾き語りをする Washington Phillips の <Lift Him Up That's All> (1927)、"vocal percussion" と呼ばれるリズミカルな四重唱のスタイルをつくりだした Golden Gate Jubilee Quartet の <Rock My Soul> (1938)、説明の要なしの Mahalia Jackson の <God's Gonna Separate the Wheat from the Tares> (1937, ピアノは Estelle Allen)、足踏みオルガンとタンバリンという素朴な伴奏ながら忘れがたい Luther Magby の <Blessed Are the Poor in Spirit>、ブルーズ・フィーリングあふれる Lil McClintock の <Sow Good Seeds> (1930)、力強い四重唱を聞かせる Taskiana Four の <Creep Along, Moses>、ゴスペル歌集出版社の社員が売込みのために結成した異色の Tennessee Music and Printing Company Quartet の <Joy Bells>。

GeorgiaTomDorseyS.jpg2 枚目に行くと、ブルーズのほうでも Georgia Tom として知られる Thomas A. Dorsey がおそらく Tampa Red と一緒にやっている <How about You> (1932)、ブルーズ・ハープを吹き、かつ歌う Jaybird Coleman の <I'm Gonna Cross the River of Jordan> (1927)、1946 年に結成されて以来今日まで活動をつづけている Trumpeteers の <Milky White Way> (1947, 当時、Mahalia Jackson と Sister Rosetta Tharpe とを足したよりも売上が多かったという)、Betty Johnson を擁する Johnson Family Singers のさわやかな <Deliverance Will Come> (1951)、Alan Lomax がミシシッピ州刑務所で録音した、丸太きりの音入りの Jimpson らの <No More, My Lord> (1947)、Empire Jubilee Quartet の列車のメタファーを使った <Get Right Church> (1929, 19世紀半ばまで遡るといわれる曲)、トリニダードのカリプソ・スタイルで歌う Lion and the Cyril Monrose String Orchestra の <Jonah, Come out the Wilderness> (1938)。この調子で 1 枚あたり合計75分くらいの歌が 5 枚にわたってぎっしり詰まっている。最後の 1 枚は上に述べたように、ゴスペルの現場そのものである説教が収められている。

全 6 枚に珠玉の 135 曲と 25 の説教を収めている。安い買物ではないが、問題はお金ではない。お金では買えない価値あるものを追い求めた人々の真実の声が聞ける。 [入手先] (1 April 2004)

参加アーティスト―― Mahalia Jackson (vo), Blind Willie Johnson (vo, g) 他。評価―― ★★★★☆

[The above originally appeared on 1 April 2004 in another website of mine.]

Ceardlann Amhran i dToiceo

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Beidh ceardlann amhrán i dToiceo 26 Feabhra 2012. Sonraí: féach thíos.

Bhí dhá bhliana ó rinne mé a leithéid in Osaka.


アイルランド語歌唱ワークショップ (CCE Japan)

日 時   2月26日(日) 午後1~3時
場 所   中野サンプラザ8F グループ室2
参加費  CCE会員 1500円 学生 1800円 一般 2000円
申し込み  ceol〔アットマーク〕comhaltas.jp
(〔アットマーク〕の部分を通常のアットマークに差替えてください)
 当日参加も可能ですが、人数把握のため、事前に出来るだけメールにて参加の旨お知らせください。(一応20日あたり迄)

「このワークショップではアイルランド語の詩として発音することをまず行い、それができてからアイルランド語の歌として唄います。アイルランドで行われているアイルランド語歌のワークショップと同様の形式をとります」

課題曲: An Lacha Bhacach
予備曲: Óró Sé Do Bheatha 'Bhaile

課題曲参考動画
Nell Ní Chróinín - An Lacha Bacach (2007 www.tg4.ie)

必要あれば録音機器をお持ちください。

講師プロフィール

問合せ先 ceol〔アットマーク〕comhaltas.jp
(〔アットマーク〕の部分を通常のアットマークに差替えてください)

Deacair Imeacht

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'Tá sé deacair imeacht', arsa Mícheál Ó Cuaig, file molfach, dhom agus muid ag fágáil sláin ag a chéíle i ndeireadh Oireachtais na Samhna 2011 i gCill Airne. Anam geal.

'Okage sama de', fhreagair Tomás Ó Canainn as Seapáinis nuair a dúirt mé 'ogenki desu ka?' leis.* Is minic gur casadh orm é maidin Domhnaigh roimh Aifreann an Oireachtais. Anam geal eile.

Dámhadh Corn Cuimhneacháin Chiaráin Uí Chon Ceanainn, mar duais Sean-Nóis na bhFear, d'Aodán Ó Ceallaigh, sáramhránaí, i mbliana. An t-ainm nua a tugadh ar an gCorn seo i 2011. Ainmníodh 'Corn Óstan na Ceathrún Rua' é roimh sin, eadhon go dtí 2010. Athrú mór a bhí ann. Ciarán a bhí ina amhránaí is ansa liom. Anam is gile. Go raibh sé ag ceol i measc na n-aingeal. Áiméan.


*Okage sama de=buíochas le [rud eicínt nó duine eicínt neamhainmnithe, b'fheidir eiseadh dofheicthe]; ogenki desu ka?=cén chaoi a bhfuil tú?
[Scríobh mé an aiste thíos don iris leictreonach 'Cran Coille' Eanáir 2011. I wrote the piece below for the mail magazine 'Cran Coille' January 2011. 以下の文章はメールマガジン 'Cran Coille' 2011年1月号のために書いたものです。]

トマース・オカナンと出会う

 学者と話を通じさせるのは至難である。
 ことにアイルランド語伝統歌の学者とは。

 なぜ難しいのか。彼らはアイルランド語の詩行を日夜考える。韻律を考える。韻律が作りだす内的リズムがどう歌の旋律に装飾音に反映されるかを全身耳にして聴く。僅かな変化も聴きのがさない。集中が進めばどんどん内面に沈潜してゆく。アイルランド語詩の韻律は精妙に織り上げられる言葉の音楽であるから、極度の集中である。どこからどこまでが句あるいはその延長として一息のものであるか、歌い手はどこで息継ぎをするか。強勢のない音節をどう唄うか、そのふしを前とどう変えるか。詩行の最初の強勢の前の音節をどう唄うか。あらゆることに注意を払う。

 そこへ声を掛けたらどうなるかは火を見るより明らかである。

 もし、それでも答えを返してくれる人があれば、あなたはその人を大事にすべきである。百人に一人もいないから。

 2010年の音楽体験をひとつ選ぶ。トマース・オカナン (Tomás Ó Canainn) との出会いを仮に挙げてみる。出会ったとはおこがましいが。キラーニーで10月末に開催されたエラハタス・ナ・ゲールゲ(アイルランド語芸術年次大会) (Oireachtas na Gaeilge) でのことだった。

 実際には朝食の席で隣合せ、同じ日のエラハタス記念ミサ(Aifreann an Oireachtais) で後ろの席に坐っただけである。声を掛けるに足るほどの学殖はもちろん持ちあわせぬ。しかし、それでも出会いと呼びたいのには訳がある。彼が作曲したミサ曲を聴いたからだ。

 衝撃的だった。毎年アイルランドのゲールタハト(アイルランド語使用地域) を巡るエラハタス・ナ・ゲールゲの会場で、伝統歌唱の最高峰を決めるオリアダ杯選手権の審査員をつとめる彼の後姿を見続けてきた。その彼がミサ曲を。

 この驚きの性質を語るにはもう少し説明せねばならない。どこから説明するか難しいがアイルランド語伝統歌を巡る言説の流れを説明することでそれに代えたい。

 この40年間のアイルランド語伝統歌の見方に決定的な影響を与えてきたのはオリアダである。或いは近年オリアダ父子となったとも云える。オリアダ杯に名前を冠されたショーン・オリアダと、南部クールエーで長年オリアダ作のミサ曲を歌う聖歌隊を率いてきた息子パダル・オリアダと。

 ショーンがアイルランド音楽はヨーロッパ音楽に非ずと断じたことは決定的な影響を与えた。その伝統歌を構成する中身についてパダルは2010年、明確な定義を打出した。

 トマースはショーンの弟子の一人である。トマースの書いたシャン・ノース歌唱の詳細な音楽的分析はショーンのそれを上回るとは云えないにせよ重要なものを付加えた。

 この流れの中でトマースもまたアイルランド語ミサ曲を作り、今やショーンのミサ曲と肩を並べたのである。

 まとめると、ショーンとパダルの親子、及びショーンの弟子のトマース、彼らに共通するのは、アイルランド語伝統歌への深い洞察に立脚する決定的な言説、及びアイルランド語ミサ曲である。トマースもまたこれらを備えるに至ったことに感慨を覚えたのだ。

 生きている学者にはかくして声を掛けにくい。しかし、故人となった人なら、存分にその成果を眺め、近づくこともできる。シェーマス・エニスが収集した伝統曲の自筆楽譜を UCD の特別展示で見られたのは、ささやかながら嬉しい体験だった。彼らしい端正な筆づかいできちんと書かれた音符と文字に、在りし日のシェーマスを思った。学者がその真価を理解されるのはいつの時代も時間がかかる。

 ちなみに、エラハタス記念ミサで隣合せになったのは、ブランダーン・オマダガーィンであった。よくオリアダ杯の審査員をつとめる人なのだが、不思議に彼とは気軽に話ができる。

UCD フォークロア・コレクション (UCD Folklore Collection)
http://www.ucd.ie/irishfolklore/

SeamusEnnis_DoiriBhriain.jpg[Transcription by Séamus Ennis of 'Doirí Bhriain'. UCD Folklore Collection]

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