ショーサヴのステップ Seosamh's Steps

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[Note: The article below originally appeared here on 5 March 2005 and has been restored at a friend's suggestion. It refers to the concert in Japan of Paul O'Shaughnessy & Harry Bradley along with Seosamh (Joe) Ó Neachtain. The concert itself and related information from thenceforth is covered in a Japanese website at http://www.geocities.co.jp/junfumihp/top . Heartfelt thanks go to Jun & Tongariyama. Should anyone need an English translation, just drop me a note in a comment space, thanks.]

〔註: 以下は2005年3月5日付の記事を友人の奨めで復元したもの。同日、大阪で開催されたポール・オショネシーとハリー・ブラドリー及びショーサヴ(ジョー)・オニャハタンのコンサートのうち、ショーサヴのダンス・ステップについて述べたもの。コンサートそのもの及びその後の情報については http://www.geocities.co.jp/junfumihp/top に詳しく紹介されている。Jun さんと、とんがりやまさんに深甚なる感謝を捧げます。〕


 遂にこの眼でショーサヴ・オ・ニャハタンのステップを見た。目の前およそ三mくらいだったろうか。わずかに三曲くらい踊っただけだったが、ビデオと目の前のステップとは大違い。めちゃめちゃ、かっこいい。リズムの切れが素晴らしくいい。あのリズムの権化のハリー・ブラッドリーが目を見張っていた。緩急自在で、眼で見て楽しく耳で聞いて鼓舞される。ああ、足の匠。

 開演前にバーの前でたむろしていた彼が暇そうだったのでアイルランド語で「失礼」と話しかけた。

 なんとスピジェールではシャン・ノース・ダンスを踊るのは彼一人らしい。各地に一人づついるくらいのもので、ダンス人口は少ないらしい。これは非常に意外だった。

 2003年のエラハタスでチャピオンになったでしょと、水を向けると、いやあれは面白くなかったと、これも意外な答え。多くのダンサーが同じようなリズムで同じようなステップをしているのが彼には不満らしい。昔はもっとリズムやステップにヴァラエティがあったという。だから、彼は2004年のエラハタスでは皆リールで踊る中でホーンパイプで踊ったのだった。昔のもっと面白いシャン・ノース・ステップ・ダンスを彼は復活させようとしているのだ。

 今晩はドネゴールの名人二人(ポール・オ・シャクナシー〔オ・ショーネシー〕とハリー・ブラッドリー)の奏でる音楽で彼はコナマラの郷土芸ともいえるダンスを踊った。殆どはポールがフィドルで伴奏していたが。

 ポールのフィドルの音色のきれいだったこと。惚れ惚れする。ハリーのフルートは最後のほうでよくマイクに乗り、神懸って来たとも思えた頃にコンサート終了だったのは惜しい。この二人にとっては二時間なんて短すぎる。ショーサヴ(ジョー)も一曲踊ると、若いのに肩で息をしていたから、相当エネルギーを使うのだろう。ボックスでスローエアーも聞かせてくれた。左手の使い方がもっとうまくなると音のエッジが立つだろうなと思った。

 赤澤さんのブズーキの省エネ奏法のリズムは、二人を乗らせるに十分だった。枯淡の境地のよう。

 会場で懐かしい多くの顔に出会い、またネット上でのみ知っていた人に初めて会い、満たされた心地で大阪のバナナ・ホールを後にした。手にはおみやげのベイリーズの小壜を抱えて。帰宅後、いつものロックだけでなく、ベイリーズ・ミルクというベイリーズ1にミルク1のカクテルを楽しんだ後、ここまで書いた。イー・ワー(コナマラ)またはイー・ワイ(ドニゴール)〔おやすみ〕。


<コメント>
お疲れ様でした。いやあ、楽しかったし充実してましたね。ポール、ハリー、赤澤さんの三人が音を出した瞬間、前回のコンサートを思い出して涙が出そうになりました。新作アルバムにブズーキがないのが物足りなく感じるくらい。
ジョーのステップは、もうそれだけで凄い音楽でした。たとえ伴奏がまったく無くとも、彼ならたった一人でステップを踏むだけで、すぐれた音楽を聴いた気になれますね。シャン・ノース・シンギングが無伴奏なのと同様、シャン・ノース・ダンシングもまた、無伴奏でも成立しうるものではないかとさえ思わせるようなダンスでした。

投稿者 とんがりやま : March 7, 2005 12:19 AM


 コメント、ありがとうございます。お疲れ様でした。前回はチケットは買ってあったのですが故あって行けませんでした。そうでしたか、前回の感じが蘇ったのですね。何となく想像できます。あとで新作 CD を聞いてみたら確かに同じ曲をやったのですが、生のほうがやっぱり断然よかったですね。音のバランスは CD のほうが少しいいかもしれませんが。
 ジョーのコンサートでのダンスは、あとでタップ・シューズによるものと聞きましたが、昨日のワークショップで普通の革底の靴で鳴らしたオフビートの微妙なステップが忘れられません。あれはショーの大音響の中では埋没するかもしれません。
 はじめに音楽ありき、ダンスはその次だ、音楽を知らざればダンスをしようなどとゆめ思うなかれ、という彼が繰返し強調した点が、実際にダンスを見て腑に落ちました。完全に曲想が頭に入っていて、それをステップで表現しようとしているからこそ、型にはまらず自由に優雅に美しく踊れるのだろうなと、想像したことでした。どんな曲でもリズム構造で区分けして、左右均等配分の、型にはまったダンスを繰広げる流派とは対極にあると感じました。一つ一つの曲は生きているということを体の髄で知ることの大切さを思いました。ふと、ポールの音色の美しさの底にはそういう個々の曲への想いが溢れているからだろうなと連想が働きました。

投稿者 Mícheál [prob. on 7 March 2005 or shortly afterwards]


<追記・2010年12月2日記>
 実はショーサヴにはその後、ほぼ毎年のように会っている。一度は彼の家で、彼とお父さん(シャン・ノース歌唱の名人 Tomás Ó Neachtain)に会うところだったが諸事情で実現しなかった。会わなかったのは2008年くらいかもしれない。今年(2010年)も10月末にキラーニーで会った。一度は消えかけたシャン・ノース・ダンス競技種目が突然の人気爆発でエラハタスの一番人気に躍り出てから暫く経つが、現下の状況をショーサヴはどう見ているのだろうか。近年では2009年のチャンピオンになった Emma Ní Shúilleabháin にゾクゾクするような感動を覚えたが、なかなかそういうダンサーにはお目にかかれない。


<追記・2010年12月6日記>
 ショーサヴには確かに毎年のように顔を合わせているのだが、じっくり話す暇はいつもない。彼はダンス競技の審査員として多忙だからだ。

 シャン・ノース・ダンスについて、今年(2010年)、別の人々とやや詳しい話をすることができた。エラハタスの大会を長年支えてきた専門家および幹部の人々である。Fintan Vallely の The Companion to Irish Traditional Music (第一版、1999〔第二版が2011年早々に出る予定〕)の 'step dance' の 'sean-nós' の項には、このダンスが1975年に始まったかのように受取れる記述があるが、これは誤解を招く。名称は確かにその時に生まれたにせよ、このダンスそのものはもっとずっと古くからあると、今回会った年輩の人々は断言していた。ただ、そのことについての文献上の記述はぼくも見たことがない。どこかにあるのかもしれないけれど。

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